執筆: Jin Fujisaki / 公開: 2026-07-23
音は分かる。だが、パドルを前にすると指が止まる。モールス信号を独学する人の多くが、この壁にぶつかる。
もし、鳴った符号をその場で打ち返させ、正解するまで逃がしてくれない練習機があったら。指先の記憶は、もっと早く仕上がるはずだ。
オーストリアのアマチュア無線家、Willi Kraml(コールサインOE1WKL)が設計し、QRP Labsが製造・販売する「Morserino-32」。手のひらに収まる現行モデル「M32 Pocket」は、ただの電鍵ではない。コッホ法とエコートレーナーで符号を指先に叩き込む、専属の家庭教師のような練習専用機だ。
image QRP Labs(shop.qrp-labs.com)
| 秘密は「コッホ法」と「エコートレーナー」。文字は最初から本気の速さで鳴る
Morserino-32の学習モードは、一般的な暗記法とは順番が逆だ。文字そのものは最初から実践速度で鳴らし、覚えさせる文字の数だけを少しずつ増やしていく。これが「コッホ法」と呼ばれる方式で、速度を落として符号のリズムに慣れさせるのではなく、最初から本番のテンポを耳に叩き込む。
もう一つの核が「エコートレーナー」だ。M32 Pocketは、鳴らした符号をその場でパドルに打ち返させる。合っていれば次の課題に進み、間違えれば同じ課題が繰り返される。正解するまで、先には進ませてくれない。
| 鳴らして、打たせる。逃げ道のない反復がパドル操作を体に入れる
スマホで受信練習はできても、画面をタップするだけではパドル操作は身につかない。「聞き取れるのに、指が動かない」という壁の正体は、まさにこの物理操作の欠如にある。
M32 Pocketのエコートレーナーは、実際の交信に欠かせない「受信して、送信に切り替える」という動作そのものを反復できる。内蔵の「CWジェネレーター」は、ランダムな文字列やコールサイン、頻出の略語や単語を次々と出題する。次に何が鳴るか分からない。だから、決まった順番を覚えるのではなく、音そのものを聞き分ける力が鍛えられる。
デコーダー機能も備えており、内蔵のタッチパドルやストレートキーだけでなく、本体のオーディオ入力端子に受信機の音声出力を入れれば、CWデコーダーとしても使える。WebSDRの受信音のような、実際の無線家が打つ生の符号も練習素材にできる。
| 机の教材を、ポケットへ。「M32 Pocket」という進化
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Morserino-32には歴史がある。最初のはんだ付けキット、改良を加えたバージョン2のキット、そして完成品として届く現行の「M32 Pocket」。歴代モデルは共通のファームウェア基盤の上に成り立っており、機能面での断絶はない。
M32 Pocketが体現するのは「机に据える教材を、ポケットへ持ち出せる」という価値だ。重量は約100gと軽く、片手にすっぽり収まるサイズ感。3Dプリントのシルバーグレー系PETG樹脂の筐体に、タッチ式のパドルを内蔵し、視認性の高い1.9インチTFTディスプレイでモード表示を確認できる。
通信面では、アクセスポイントを介さない「ESP-NOW」による2.4GHz帯の直接通信で、他のM32 Pocket同士を近距離でペアリングできる。さらにWiFiトランシーバーモードにすれば、インターネット経由のiCW通信やVBandへの接続も可能。オープンソースのソフトウェアはパブリックドメインで公開されており、GitHub上でカスタムファームウェアを試すこともできる。
| 価格と購入方法
現行の完成品「M32 Pocket」は、開発元QRP Labsの公式オンラインショップで80ドル。記事執筆時のレートでおよそ1万3000円前後(送料・関税別、為替により変動)で、バッテリーは別売りだ。動作には14500サイズの充電式リチウムイオン電池が必要で、公式には保護回路付きのセルの使用が推奨されている。USB Type-Cケーブルが手元にない場合は、購入時にオプションで追加できる。
アマチュア無線の国家試験からモールス信号(電気通信術)の実技試験が姿を消して久しい。第3級は2005年、第1級・第2級も2011年に廃止された。資格のために符号を覚える必要はなくなったが、CWそのものの魅力に惹かれて練習を続ける無線家は今も少なくない。
| どんな人におすすめ?「聞けるのに打てない人」へ
M32 Pocketは、次のような人の練習を後押ししてくれる。
- 資格のためではなく、CWそのものを覚えたい人
- 音は聞き取れるのに、パドル操作がついてこない人
- 受信機やWebSDRの音を教材にして、実戦の符号を聞き取りたい人
- 練習環境まで自分でいじり込みたい、オープンソース好きの人
| まとめ:次に符号が鳴ったとき、考えるより先に指が動く
Morserino-32が鍛えているのは、符号の丸暗記ではない。鳴った音に、指がとっさに反応する回路そのものだ。
耳では分かっていたはずのモールス信号が、パドルの前で止まってしまう。その一瞬の詰まりを、この掌サイズの機械で少しずつ埋めていく。次に符号が鳴ったとき、考えるより先に指が動く。その反射を、掌の上で育ててみませんか。



